鍼灸老舗の人々:関西鍼灸の歴史


明治から昭和にかけての鍼灸の歴史に興味を持って読んだ本です。

著者は鍼灸師の上地 栄(かみち・さかえ)氏(1920−98)です。
本書は、明治期から昭和にかけて活躍した西日本地区の鍼灸師たちの実像をまとめたものです。

上地氏は沖縄で生まれ、中央大学法学部に進学しますが、1943年に学徒出陣のために中退することとなりました。
配属された戦地は故郷の沖縄で、激戦の中を辛うじて生き残り、戦後は左翼活動や新聞記者などを経験しました。
鍼灸への道は68年に年東洋鍼灸専門学校を卒業し、伝統鍼灸の学会に所属しながら臨床や教育にあたってきました。
同時に鍼灸史研究をライフワークとしており、古式の伝統を伝える治療家に教えを請い、古書を蒐集しながら精力的に研究を続けてきました。
それが結実して、85年には経絡治療の黎明期を描いた「昭和鍼灸の歳月」を上梓しました。
同書は主に関東鍼灸界を描いたものであったために、関西以西の鍼灸界の実情も記したいという思いから執筆されたものです。
業界誌「医道の日本」で1990から最晩年の98年まで連載され、加筆修正を加えた本書が2009年に出版されました。
書名の「老舗」とは、関西圏には古くから鍼灸が根付いていた老舗が多かったこと、に由来しています。

本書では次のような7名の老舗が登場し、彼らを軸にしながら当時の世相と鍼灸界を描いていました。

松元 四郎平(シロヘイ)(明治15ー大正15)
鹿児島で活躍した灸治療家。
虚弱体質て、長ずるに伴い徐々に視力を失いました。
治療家になってからは独学で研究を続け、微かに残る視力を振り絞り、虫眼鏡を使って膨大な古書を読み込みました。
日本で初めて「経穴学」の参考書を執筆し、後の治療家に大きな影響を及ぼしました。

藤井秀二(明治17ー昭和56年)
大阪の医師。
家業として小児鍼の伝統を受け継ぐ嫡男として誕生しながらも、医大に進学しました。
しかし医師免許を取得後は家業を引き継ぎ、小児鍼を実践しました。
医師としては鍼灸に科学の光を当て現代医学的鍼灸を啓蒙し、業界の発達に貢献しました。
疳の虫とは小児の過緊張に伴う自律神経の乱れともいえ、成人に行う筋緊張緩和を小児には皮膚への優しい刺激を通じて行なっているように思われました。
その小児鍼の技法は、経絡治療家の井上恵理の散鍼に影響を及ぼしています。

吉田多市(明治4ー昭和12年)
大阪の鍼灸師で、視覚障害者。
上京して幕府の医家の生まれだった大久保適斎医師に師事して科学的鍼灸を学び、関西でその鍼法を普及させました。
同時に視覚障害者の救済と自立にも尽力し、鍼灸の教育、点字速記機の発明なども行った多才な人物でした。
「目が見えないことなどちっとも不便なことではない。
昼だろうと夜だろうと電灯もいらないのだから。」

長門谷貫之助(文久3ー大正7年)
大阪の医師、灸療家。
代々続いていた灸治療家の後継者として生まれました。
医学校を出ると家を継ぎ、家伝の灸治療を実践しました。
それは1cmほどの高さの逆円錐形のもぐさを、背中のツボに使う、という治療でした。
背中だけのツボですが、呼吸器、消化器、神経痛と幅広く適応しました。
現代も大阪で2家が「ながとや灸」の道統を伝えているようです。

山本慎吾(明治6ー昭和25年)
大阪の鍼灸師。
鍼灸師会のトップを長年務め、専門校を設立するなど、教育や業界の発展に寄与してきました。
自己顕示がゆき過ぎて組織の分裂を招くなどトラブルも産みましたが、信念を曲げない生き方は支持され、関西地方で多くの人に愛されつつ78年の生涯を生きました。

他に辰井文隆、駒井一雄。

膨大な資料を蒐集し、紐解いたことが伺える大作です。
たびたび横道に逸れていましたが、著者の博覧強記ぶりには終始圧倒されました。
「諸兄よ」と語りかけるように綴られていることが印象的で、長い物語でしたが一気に読了しました。