Looking back to 2011 from 2016

shinsai 3

早いものであれから5年が経過しました。

私は被災地を訪れたことはありません。
ボランティアに行った知人からの報告を聞いただけですが、その絶望的な光景には圧倒されました。
テレビで報道されるのはきれいな場面だけで、現場は人や家畜の死骸と悪臭に見舞われていました。
溢れるモノが大量の瓦礫として積みあがり、
死体もまたモノのように無造作に転がり、
生き残った家族は呆然とそれを見つめ、
自衛隊員は泣きながら瓦礫を撤去する。
この世に現出したリアルな地獄絵図に対して、言葉にできない想いが旨に広がり、その後に無常感が残りました。
shinsai 1

また生き残った人が高台から撮影した映像が印象的でした。
津波の危険を告げて高所への避難を呼びかけているのに、人々は危機感なくのんびりと車で往来し、直前の地震についてのんきに語らっていました。
ところが数分後、遠くに見えた大きめの波がゆっくり近づいてきて、あっと言う間に間近に迫って来ました。
ここに来て慌てて逃げ出しますが、もはや間に合いません。
「え、えっ、こりゃなんだ???」
といってる間に、人も車も波がゆっくり飲み込んでいきました。
生と死を分かつ瞬間を目の当たりにして言葉がありませんでした。
shinsai 2

震災は私自身に少なからず影響を及ぼしています。
まず「死」はすぐ隣にいる生の伴奏者で、常に「さあ逝こうか」と肩を叩こうとしていることを銘記しています。
また瓦礫の山を見て、モノを所有する虚しさを痛感しました。
モノへの執着は「もっといいモノ」を求めて金銭への依存を深めて、大切な時間を浪費してしまいます。
本当に必要なものを見定めるために、将棋崩しのようにモノを少しずつ減らしていき、今に至っています。
shinsai 5

身軽でいること。
自由であること。
死ぬ準備をしていること。

震災は貴重な教訓を授けてくれたように思います。
shinsai 4

写真はここからアップしました。
溢れる想いが凝縮しているようなものばかりで、胸が一杯になりました。